思い出と密接にリンクした曲が突然流れて、思い出が吹き出してしまったから。
そんなしょうもない動揺を書き留めておこうと思う。
2000年に発表された「さよなら大好きな人」は不思議な曲だった。
亡くなった祖父に宛てた歌でありながら、聴きようによっては失恋を歌っているようでもあり、儚い友情を嘆いているようでもあった。
解釈の幅がある曲は、まるで私のためだけのテーマソングのように思えた。
中学生の頃に買い求めたその曲を、社会人になってから繰り返し聴くようになった。
さよなら大好きな人
一般的に言って、女性の20代はそれはそれは輝いているらしい。
大人の女性へと変貌していく初々しい魅力、長かった学業で修めた知識が開花していく美しさ、広がりゆく世界観。
責任が増すほどに叶う自由な選択。
若い女の子たちを遠目に眺めるとその輝きに圧倒されるし、きっと私も大人たちからそう見えていたのだろうとも思う。
だけど、私はずっと寂しかった。
何不自由はない。仕事は楽しい。遊ぶこともできる。なんだって選べる。
それでも、ずっと寂しかった。
私と同じように成長してゆく仲間たちが、それぞれの道を見つけてどんどん離れていくことが、ただただ寂しかった。
学生時代なら、恋愛は恋愛のままだった。
でも、社会に出れば、恋愛は結婚へ、結婚は子育てへと変わっていく。
就職はゴールではなく、部署間での移動があり、転職もある。
田舎へ帰る人もいる。
変わらないものがなにもない。それがとても悲しかった。
それでも人生は続いていくのだから、いつのまにか変わりゆくすべてに慣れてしまった。
友達を作っても、昔のように長い時間を共に過ごさなくなった。
心の奥底にある思いを打ち明けても、それゆえに仲が深まることを期待しなくなった。
他人の人生が私に関係のない出来事であるように、私の人生は誰かにとってのエンターテイメントにすぎないのだと理解していた。
多くの友人が人生の重要な決断をした。私も、人生を自力で切り開くときに、後ろを振り向かなかった。
寂しい、という気持ちを誰にも打ち明けなかった。
ただそっと、「さよなら大好きな人」を繰り返し聴いていた。
ノイズキャンセリングイヤホンをMP3プレイヤーに突き刺して、地下鉄のガラスに映った自分の顔をぼんやりと見ながら、ずっと聴いていた。
そして大人になった
28歳で始めた婚活で夫に出会った。
ほんとうにあっという間にプロポーズされ、結婚し、一緒に暮らし始めた。
共に歩まなくなった友人たちも祝福してくれた。
結婚して専業主婦になり、生活は激変した。圧倒的な寂しさは、毎日必ず帰ってきてくれる夫の存在によって消えていった。
友人たちが新たな決断をしたとき、心から素直に応援できるようになった。
そういう自分をとても好きになった。
ある日見た夢、友へのはなむけ
夢にはいつも色がついている。楽しい夢やサスペンス風な夢。幼い頃の思い出の夢。
あの日みた夢も同じようにとてもカラフルだった。
5,6人の友人といるようだった。その友人が誰だったのかはわからない。
どこかの大通りで、友人たちが離れていくことになった。
私は彼らを抱き寄せて、とても大切な言葉を伝えた。
ーねえ、幸せになるんだよ。過去を振り返らずに、ただ前だけを見て。
友人は不安そうに、でも期待に満ちた目をしてうなずいた。
そこで目が覚めた。
目覚ましを止めるためにiPhoneを見たら、通知が入っていた。
「お久しぶりです。結婚しました」
20代のあの日、大人になんかなりたくないと笑っていた彼女は、あのときの記憶そのままの美しい笑顔だった。
さよなら 大好きな人
さよなら 大好きな人
まだ 大好きな人
くやしいよ とても
悲しいよ とても
もう かえってこない
それでも私の 大好きな人
何もかも忘れられない
何もかも捨てきれない
こんな自分がみじめで
弱くてかわいそうで大きらい
さよなら 大好きな人
さよなら 大好きな人
ずっと 大好きな人
ずっとずっと 大好きな人
泣かないよ 今は
泣かないで 今は
心 はなれていく
それでも私の 大好きな人
最後だと言いきかせて
最後まで言いきかせて
涙よ 止まれ
さいごに笑顔を
覚えておくため
さよなら 大好きな人
さよなら 大好きな人
ずっと 大好きな人
ずっとずっと 大好きな人
ずっとずっとずっと 大好きな人
引用:「さよなら大好きな人」花*花