なぜあの日、私はいじめられたのか~"「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である"書評にかえて

なぜあの日、私はいじめられたのか~"「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である"書評にかえて



なぜあの日、私はいじめられたのか~"「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である"書評にかえて


この記事のまとめ ・1人行動を始めるようになったきっかけと、パワハラを受けた経験
・1人行動をしない「普通の人」がどれだけ気を遣って生きているのか
・もう一度、人と出会う~本当の意味で助け合うとはどういうことなのか

1人でいるほうが気楽なんだよね、そんなふうに言う言った事はないでしょうか。もしくは、身の回りでそう言いながら1人で過ごしている人を見かけたことありませんか?

この記事は、そんな1人好きな私がある本をきっかけに世界の見方を変えた記録です。


中学時代、いじめを受けていたのかもしれないこと


中学校2年生の時にひどく相性の悪いクラスメートが二人いました。

自然発生的にできたグループの中で、女の子によくありがちな陰口大会を始めるようになったのです。

当時、帰る方向が私だけ違ったことも手伝って、陰口の中心は私について。

だんだん、冗談のふりをして容姿や言動などを揶揄されたり、聞こえるように陰口を言われるようになったりして、さすがに精神的に参ってきました。

中学校3年生でクラス替えがあったのですが、仲の悪かった2人のうち1人とまた同じクラスに。

なぜだか新しくできたグループの中でも彼女は私と同じグループに属し、今度こそ彼女は私を排除にかかったのです。

そうなってくるとこちらの行動としては戦うか、話し合うか、逃げるかの3択になるわけですが、結局私は一目散に逃げる道を選びました。

3時間目の休憩時間にさっさとお弁当を食べてしまい、昼休みは自習室にこもって勉強。修学旅行などの行事は人数調整名目でどこかしら入れてもらっていました。


そのまま大人になったらパワハラを受けた


その後、部活に入ったりはしましたが、高校も大学も基本的には1人で過ごしていました。

大人になってくると、1人でいろんな人に会いに行くということができるようになったため、全くもって不便がありません。むしろ、お一人様行動ができることを強みとして、いろんなところに顔を出していました。

世界はどんどん広がるし、今まで出会ったことのない人にも出会っていく。

快適の極みでした。

しかし、そんなことをしているうちに、これぞ本格的にいじめだと認識する場面にぶち当たりました。

いじめと言うよりは、パワーハラスメントの類なのですが、同期入社の年上の同僚に「教育」と称した熾烈なパワーハラスメントを受けました。

第三者に仲介に入っていただき、はっきりと「これはパワーハラスメントにあたる」と指摘を受けていましたが、加害者側のほうはその指摘に驚愕していたそうです。

ハラスメントをしている自覚など全くなく、むしろ、善意かつまっとうな指導を私が「ふてくされて」聞いていた、だからその態度を叱責したのだと思っていたとのこと。

その職場のルール、空気に合わせきれなかった私自身にも問題があったため、加害者及び周囲にとって、私こそがその場の空気を乱す加害者であると認識されていたそうです。

いじめやパワハラはあってはならないことです。してもいけないし、見て見ぬふりもいけない。

でも、今になって思い返すと、そのパワハラを助長していたのは、間違いなく私自身の根底にある考え方と、それによる周囲とのズレにあったのであろうとも理解できます。

それは、みんなと一緒に行動している人たちが、集団の中でどれだけ気を遣っているか、まったく、ほんとうにまったく気が付きませんでした。


“「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である”を読んで気がついたこと


SOLO TIME「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である(名越康文 著)を読んだとき、文字通り雷に打たれたような衝撃がありました。

この本自体は、集団の中でどのような生き方をするべきかにばかり注力していて、自分自身の本当の気持ちに全く意識を向けなくなっている現代人が、本当の意味で自分らしく生きるためにはどうしたらいいのかがわかりやすく書かれています。

特に第1講では、他者との関係性を維持するためにどれだけ気を使っているか、その気の遣いがどれほど負担になっているかが書かれています。

この関係性については、家族や親しい友人だけではなく、職場の同僚やご近所さんなど、「何があっても大切にしなければならない」と強く感じる人以外についても発揮されているということが丁寧に書かれています。

これは導入部分で、読者を本の中に引っ張り込むための箇所だと思うのですが、私自身は、この中にある様々な実例を読んでぼう然としました。

えっ、私、疲れるほど集団にいたことないし、そんな気遣いしたこともない……と。

本の中では、集団の中で気を遣って過ごすためには心理的な負担がかかり、どんどん疲弊していっている人の様子が描かれています。

そんなふうに疲弊していく人々にとって、私がしていたようにひとりでする行動はとても身勝手に見えて怒りを買っていたでしょうし、うまくやろうという気遣いがない私の発言や行動は集団の和を簡単に破壊する排除すべき対象になっただろうことも理解できます。

なんども言いますが、もちろんいじめやハラスメントは絶対的にあってはならないことです。

いじめる側が絶対的に悪い、いじめられる側に責任など一つとしてありえない。

そう言って私の心を慰めようとしてくれる人の優しさに感謝しています。

ですが一方で、なぜいじめの対象になったのかを、私は知りたかった。

それを知れば対処できるかもしれない。攻撃を受ける前に回避できるかもしれない。

そんな思いを心のどこかに抱えていた私にとって、この本は明らかに助けとなりました。



集団の中で疲れないために


とは言え、この本は人とうまくやっている人々や、1人で行動している人々のことをただ単純に肯定したり否定しているわけではありません。

真の意味で他人と一緒に行き、助け合い、心地よい関係を築いていくためにと言う手法も書かれています。

特に実践的でありがたいなと思ったのは第4講の「身体に秘められた知恵と出会う」、第5講「人生を変える習慣の力」で、心の表面でそわそわと落ち着かない感じになっている気持ちや考え方を、きちんと腹落ちさせる方法がかなり具体的に書いてあります。

この本が真の意味で役に立つのは、もっと集団への気遣いをできるようになってからかもしれないな。

そのときはもう一度手に取ろう。

そんなふうに読み終えた一冊でした。

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