この記事のポイント ・「神様は乗り越えられない試練を与えない」には続きがある
・辛すぎたら逃げましょう
・辛すぎたら逃げましょう
よく聞く言葉の本当の意味
「神様は乗り越えられない試練を与えない」
そんな言葉を耳にしたことはありませんか?
そしてそれは、いつ、どういう状況にあったときでしょうか。
私がその言葉を聞いたのは大学生のときでした。
その人は、仲間たちと共にとても高い目標に挑む直前の朝、仲間たちを鼓舞するためにスピーチをしていました。
「だから、がんばろう。きっと乗り越えられるから」
そう締めくくりました。
冬の朝、凍った地面の上にしっかり足を踏みしめて、誠実な彼はまっすぐに前を見ていました。
そして、仲間たちもまた力強く頷き、走り出していきました。
……さて、青春時代の美しい一コマは、もちろん当時の輝きを保ったまま私の胸にあるわけですが…。
この言葉、いくらなんでも乱暴だよなあ、と思いませんか。
無茶苦茶に辛いことってけっこうある。耐えられないから逃げ出したこともある。
えっ、じゃあなに、私は神様の管轄外なわけ!?
そんなふうに思っても仕方がないと思うのです、ここだけを切り取って聞いてしまえば。
前後をバッサリ切り取られた言葉だけを聞いてしまえば。
そう、これ、途中なんですよ。
ながーーーーーい文章を切り取って、しかも大事なところが抜けている。
そもそもこれ、まあいろんな説はあるとはいえ、
ほぼほぼ確実に、ベースになっているのは聖書の一部であろうと考えられます。
そう、一部なんですよ。一部。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリントの信徒への手紙一 10章 13節/新共同訳聖書
さて、いかがでしょう。
「逃れる道をも備えていてくださいます」
この部分を足すと、言葉の響きは変わりませんか?
別に、「どんなに辛くても耐えられるはずなんだから歯を食いしばって乗り越えなければならない」と言っているのではなく、
「辛すぎたら逃げる道があるからね」
ということを言っているわけです。
辛すぎたら逃げましょう
なので。
キリスト教の教義とかどうでもいい、ならそれでいいと思います。
宗教って受け付けない、そういう気持ちの人がいて当然です。
無神論を唱えたくなる人がいることもよくわかる。
でも、もし、
「こんなに辛いけど、ものすごく辛くて苦しくてたまらないけど、
私にはこの試練を乗り越えられるはず、絶対に乗り越えなきゃ」
と、自分を追い込んでいるのだとしたら、
「とりあえずその言葉には続きがあるからーーー! 逃げていいんだよーーーー!」
そう伝えたいのです。
そして、もしあなたを辛い目に合わせる人がいたら、
その人はあなたの成長なんか願っていないんです。
誰かのことを心から思うとき、
その人のことを追い詰めることが愛や思いやりだなんてことはありません。
「誰も言わないけど、オレだけは言ってやる。おまえは~~~というところがダメだ」
「おまえに指摘してやらないやつらは、おまえが勝手に潰れていくのを待っている、無責任なやつらだ」
「叱ってやるオレに感謝しろ」
そんなことを言われ続けて、
戦う意欲がなくなってしまったら、
逃げましょう。
最後に残った一滴の気力を使って、
力を振り絞って、逃げましょう。
逃げることを、親も恋人も上司も許しませんか?
でも、あなたは自分自身を許してもいいんじゃないでしょうか。
一番がんばっているのはあなたなんだから。
がんばり続けているあなたへ。
お疲れさまです。あなたはとても頑張っていて、素敵だと思います。
でも、だからこそどうかご自分を大事にしてください。
それでは皆さん、今日もよい一日を。
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