私にはイラストなんか描けないと思っていた

私にはイラストなんか描けないと思っていた



親の何気ない一言がトラウマになってしまうことがある。

「お前は結婚できないよ」
「可愛くないね」
「バカだなあ」

こうやって並べるとまるでいじめのようなヒドイ言葉なのだけど、ひとつひとつの言葉自体は日常の中でぽろりとこぼれたりするので、親としては冗談のつもりのことも多い。

でも、言われたほうはずっとその言葉にとらわれて、その言葉が人生を大きく左右してしまったりもする。

結構ある話なんじゃないだろうか。

親の小さな言葉が大きな傷となり、そのせいで親を恨んでしまう。

でも実は、親の言葉の呪縛より私たちを縛り付けてしまうものがある。

それは「私になんかできるわけない」「俺には無理」そうやって、繰り返し繰り返し自分に語りかける言葉だ。

漫画に出会った日



子供の頃、家にあった漫画は美味しんぼと釣りバカ日誌だけだった。

親の方針で、絵のない本はいくらでも買ってもらえたけれど、漫画はひとつも買ってもらえなかった。

そもそも少女マンガや少年漫画なんてものがこの世にあることすら知らなかったから、欲しいと思ったこともなかった、というのが正しい。

そんな家庭環境だったから、小学校に上がったときはカルチャーショックだらけだった。

中でも衝撃を受けたのが、幼い頃から漫画に囲まれて育った同級生の子が描く絵だった。

彼女が描く絵は見たこともないくらいおしゃれできれいでかっこよくて、休み時間になると彼女の机に飛んでいっては、真っ白な自由帳を埋める鉛筆の先をうっとりと眺めていた。

私も漫画を描いてみよう



小学4年生になると、本に囲まれて育った私は小説を書くようになり、漫画に囲まれて育った同級生は漫画を描くようになった。

彼女は私の小説を読んでくれて、私は私で時折漫画の原作を書いて提供したりしていた。

小さなノートにひたすら文字を書き連ねる私の拙い小説と、自由帳いっぱいに広がる漫画の世界。当たり前のように、私の小説は誰にも読まれなくなり、彼女の漫画は圧倒的に人気を集めた。

羨ましくて羨ましくて、彼女の真似をしてこっそり漫画を描くようになった。

どういう経緯だったかは覚えていないけれど、その下手くそな漫画を彼女に見せたことがある。

その子は私の漫画を見てずいぶんと喜んでくれたような気がする。

小学生の女児にありがちな「私の真似をしないで!!」なんてことは一言も言わず、コマ割りや目の描き方を丁寧に教えてくれた。

だんだん私の漫画も人に認知してもらえるようになって、それが嬉しくて夢中になった。

「私には無理」




夢中になって絵を描いていると、やっぱり多少は上達する。

そのうち私の元にも「絵を描いて」と頼んでくれる子ができてきて、それが嬉しくてたまらなかった。

まったく興味を持てなかった図工の時間も楽しめるようになり、小学校で募集していた「キャラコンテスト」のようなもので入選し、学校中で私のイラストが踊ったこともあった。

まさに順風満帆。色ぬりは苦手だったけど、このままいけば「いい感じ」になりそう。

幼い胸を希望でいっぱいにしていた。

それでも、ある時ふと、躓いた。

多分、友達の家で漫画を山のように読んでいたときだったと思う。

たしかあのとき読んでいたのは「なんて素敵にジャパネスク」。氷室冴子の同名小説を漫画化した恋愛コメディだ。

本当に何気なく、なんの前触れもなく、「あ、私にはこれは無理だ」と思ってしまった。

平安時代の貴族のラブコメを扱っている「なんて素敵にジャパネスク」は、装束(貴族の和装)がどのページも精密に描き込まれ、平安時代の貴族の世界観が見事に再現されている。

それでいて登場人物たちの顔は少女漫画らしい豊かな表情を見せる。

端的に言えば、圧巻の漫画だった。

そして、「私は漫画を描いている」と思っていた自分が強烈に恥ずかしくなった。

プロってこういうことなんだ。私は、きっとどんなに頑張ったって漫画家になんかなれない。

だって、絵もすごく下手だもの。

私には、無理。

そして絵を描くのを辞めた。

それでもイラストを描いてみた



あれからずいぶん時が流れて、いろんな仕事に挑戦して失敗したり成功したりしているうちに、ブログを書き始めた。

ブログを始めたのは自己実現とかそういう話ではなく、あくまで自分に今できる形で情報発信をし、それがお金に繋がればいいなんて思っていた。

使っているbloggerはかなりクセのあるブログで、どうしても自分でカスタマイズする必要が出てくる。自分でカスタマイズをすると、もっと個性をつけたくなる。

そんなわけで、随分久しぶりにイラストを描いてみた。

さすがに手書きはハードルが高いので、パワーポイントを使ってアイコンのようなイラストを作った。

使い勝手がいいのを作れたし、自分としては満足だった。

ただ、他の人のブログを見ているうちに、可愛らしイラストや、かっこいい漫画などがたくさんあって、何と言うか古傷が疼いた。

そこにあふれているのは、子供の頃「なんて素敵にジャパネスク」で受けたのと同じような衝撃を受ける素晴らしい作品の数々だった。

そんな時に、ブログを作る際に参考にさせてもらっているクロネのブログ講座の運営者クロネさんがイラスト募集を始められた。

クリスマスをテーマに、色々な人が思い思いにクロネさんモチーフのイラストを書いてアップしていた。

私からすればクロネさんは雲の上のような人なので、なんとなく遠い世界のような気がしながら、それでもたくさん並ぶイラストになんとなくそわそわした。

あの日小学校の教室でドキドキしながら友達に見せた私の自由帳のように、 Twitter に投稿してみたい。そんなふうな思いが押さえられなくなった。

たまらなくなって、ノートにイラストを走り書きした。

それを見ながら、お絵かきアプリのMedibangで初めてイラストを書いてみた。

苦手な色塗りも四苦八苦しながらやってみた。

出来上がって、メンションをつけて、投稿。



クロネさんは気がついてくださって、リツイートと、クロネのブログ講座内に私のイラストを掲載してくださった。(参照:【総勢45名】クロネ&トラネクリスマスコレクション2018

素晴らしいイラストの中で、時間と労力をかけた割にシンプルすぎる私の絵は、たしかにそこにちんまりと掲載されていて、スマホを片手に飛び上がった。

なんだか幼かった私が喜んでいるような、そんな気がして、嬉しくて小躍りしていた。

イラストを描いたらお金をもらえた



クロネのブログ講座にしつこく何度も何度もアクセスしては、そこに確かにある自分の絵を見てニヤニヤと生活をしていたのだけれども、その喜びはそこで終わらなかった。ある夜突然クロネさんから DM が届いたのだ。

あまり付き合いのない人からの DM というのは肝が冷える。自分はいったい何をやらかしたのかと慌ててDMを開いたら、そこには信じられないような文字が踊っていた。

なんと、参加賞をくださるという連絡だったのだ。

人間、驚きすぎると体の感覚がなくなるというのは本当で、返事を書こうにも手が滑る。急いでパソコンを立ち上げ、短いやり取りの後、本当に参加賞をいただけることになった。

頂いたのは Amazon ギフト券。自分が書いたイラストが、参加賞とはいえお金になったことに漠然とした。

何の価値もないと思って書くのを止めて20年近く経った。そんなイラストが、価値を生み出した。

それは、子供の頃自分を縛り付けた「私なんかには無理」という価値観を根底から覆すような出来事だった。


また漫画を描こう



そんなわけで、「私には無理。」という価値観にヒビが入った。

自分自身を縛り付けていた価値観から自由になって、もう一度、もう少し、頑張って絵を描けるようになりたいと思う。

あれから毎日毎日ちまちまとMedibangを立ち上げては描いて、練習している。

やっぱり人と比べたら恥ずかしくなるような出来なのだけど、「凄い」誰かと比べるのではなく、好きなことを好きなだけやってみたい。

そしていつか、あの日描くのをやめてしまった漫画の続きを描いてみたいと思う。




素晴らしい機会をくださったクロネさんのブログ講座はこちらから!




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